「リボーン」孤高のライオンとプライドたちの物語Season8【最終回】

引退後も、筆者(ヤギ)は「あの時ケガなく万全だったなら」と思いながら何十回何百回と空想の中でライオン(藤井慶二)と戦った。それくらい心に引っかかっていたのだ。後悔とかではなく対戦を望んでくれたライオンにも申し訳なかったなという気持ちが半分以上を占めていたのだ。

戦い方は最後の早慶戦の1年前から決まっていた。筆者のバックハンドスライスとライオンの回り込んでのフォア逆クロスによる我慢合戦がラリーの8割以上を占めるところまでは夏関(なつかん)の頃と何も変わらない。変わったのは、バックハンド(筆者はシングルバックハンド)のフラットカウンターが新たな武器として筆者に加わっていた点だ。

このショットを対ライオン専用の秘密兵器として、現役生活最後の1年間来る日も来る日もずっと繰り返し練習した。振り回し練習を死ぬほどやっていたのはこのショットのためだった。

ライオンが逆クロスのラリーに我慢し切れずに回り込んでのダイナマイトフォアをストレートに引っ張って叩いてくるのを待ち構えてフォアのクロスカウンターを食らわし、そこで刈り取れるならばそれでよしであるが、ライオンが夏関でこの筆者のフォアクロスカウンターに苦しんだことを忘れているわけがない。

ライオンは筆者のフォアカウンター対策を万全にしているはずであり、筆者のフォアクロスカウンターに、自慢のフットワークとダイナマイトフォアで再度ストレートに雄叫びをあげながらカウンターフォアを叩いてくるだろう。

ライオンのカウンターフォア
火を噴くライオン

そのライオンの「カウンターのカウンター」を筆者はバックのフラットカウンター、つまり「カウンターのカウンターのカウンター」を

メ゛エ゛エ゛エェェェ!!

と、ライオンの咆哮(ほうこう)よりさらに大きな唸り声を上げながらシングルバックハンドのフラットカウンターでクロスに射抜く。

フラットカウンターが決まってガッツポーズする筆者
ガッツポーズする筆者

これ以外にもあらゆる事態を想定してライオン自慢のダイナマイトフォアを迎撃するシーンを明確にイメージしながら最後の1年を過ごした。

王座決勝で日本一を決めた最終ゲームで実質的に相手の息の根を止めたのも、対ライオン用に用意していたこのバックハンドクロスカウンターだった(証拠録画映像保管あり)。

しかし、これだけ明確にシミュレーションできていたにも関わらず、空想の中で何回戦ってもライオンに勝てるイメージがどうしても沸いてこなかった。

理由はない。理屈もない。簡単に負けるつもりはサラサラなかったし、ファイナルセット(5セットマッチ)まで削り合いを続け、6時間7時間を超える超ロングマッチをやる気満々だった。

何時間試合をしようとも、きっと可児と柳内が慶應のボーラーに競り勝ってくれる。試合中はベンチコーチのよしきと馬場内が支えてくれる。筆者はライオンと慶應に勝つためだけに生きてきた。努力が足りていないはずは絶対になかった。

夕日をバックに疲労で膝をつく男性

「プロセスなくして結果なし」という言葉がある。

社会人になって筆者が所属していたチームのチームウェアに、「NO PROCESS NO RESULT」とプリントし、チームのメンバーにプロセスの大切さを広めようとした。

しかし、「楽しくなければ結果は出ない」という、お花畑で生まれたとしか思えない謎の新興宗教を広めるきっかけを逆に与えてしまい、最後は、「あいつ(筆者)はカルト教団のグル(教祖)だ」と陰口を叩かれて孤立し、チームを追放された苦い過去を持っている。

NO PROCESS NO RESULT

しかし、そんな筆者も昔はお花畑の住民だった。その筆者をお花畑から連れ出し、プロセス(努力とは何か)を背中で教えてくれたのは高校時代のクラスメイトだったあの男だ。

名前を出してしまうと逆に陳腐になってしまうので「あの男」とさせてもらいたい。あの男はプロセスを決して人前で見せなかったが、筆者とあまりに実力差がありすぎたこともあったせいか、あるいは別の理由(ジュラシックハラスメントの対価など)だったのかは分からないが、

「おいヤギ、走りに行くぞ」

と、お花畑で?気に草を食べていたヤギ(筆者)をトレーニングに誘ってくれることがたびたびあった。

黙々と走る二人の男

決してライバル(育史や谷澤、弘樹など)の前では見せない「白鳥の水面下(プロセス)」を筆者の前で見せてくれていたのだ。その時まだあの男は高校2年生であったが、すでに完成された真のプロフェショナルだった。

「プライド」という言葉の意味を教えてくれたのもあの男だ。

あの男は28才の時、単身海を渡りスペインに武者修行に行った。スペインで一緒に練習していたのはつい先日引退したアルマグロやリシャール・ガスケらであり、まだ彼らがジュニアの頃の話だ。そう、あの男は一回り近く年下のジュニアたちと一緒に練習していたのだ。

ガスケとアルマグロ
ガスケとアルマグロ

筆者が高校のころ練習していた湘南スポーツセンターには、シゲちゃんという大学生がいて、年下の筆者らと一生懸命練習していた。

その時の筆者はシゲちゃんのことを「なんで俺たちと練習しているんだろう」と好奇の目、といえば聞こえはいいが、おそらくもしかしたら心の片隅のどこかで無自覚に馬鹿にしていたかも知れなかった。

筆者だけではなく、SSCにいた大勢のジュニアたちが、シゲちゃんの人柄を愛しつつも、どこか冷めた目で見ていたのは事実だろう。

海を渡ったあの男をスペインで待っていたのは同世代ではなく、一回り近く年下のジュニアたちだ。あの男はシゲちゃんのことを知っていたし、たまに練習にきていた実業団選手だった大原君(筆者の同郷の大先輩)らのことを少なくとも尊敬はしていなかったはずだ。

柔道整復師に「転職」した大原昌之さん
大原接骨院
画像引用元:大原接骨院(神奈川県南林間駅)

つまり、スペインに渡ればあの男はジュニアたちからそういう好奇の目に晒(さら)されることは分かっていたはずだ。だが、それでもあの男は海を渡った。なぜならあの男は28才になってもさらなる成長を渇望していたし、次の試合にただただ勝ちたかったからだ。

一般的に「プライド」とは、他人に決して迎合しないとか、自分を貫くとか、ライオンの群れを比喩するときのように「誇り(プライド)」という意味で使われることが多い。

しかし、本当のプライドとは、あの男やシゲちゃんのように、強くなれる可能性がそこにあるなら、一回り年下のジュニアたちに頭を下げることすら厭(いと)わない。勝つためなら泥水をすすることも躊躇しない。これこそが「プライド」という言葉の本当の意味なのだと筆者はあの男から教わったのだ。

「あの男」
増田健太郎

大学最後の1年間は、ライオン(掲示)を追いかけるとともに、筆者はあの男を超えることも狙っていた。もちろん実力で勝てる相手ではないし対戦する機会もなかったので、では何を超えようかと思ったかというと「どっちが自分を追い込めるか」という一点において勝手にあの男に勝負を挑んでいたのだ。

あの男とは連絡は取り合わなかったし、彼が何をしていたかは知らないが、あの男のことだから恐ろしいほどの練習とトレーニングをしているであろうことは想像に難くなかった。

その「仮想あの男」を常に脳裏に置きながら「あの男はもっと走っている」「あの男ならここからもう2セット、いや3セットやるはずだ」などと勝手に想像しながら筆者は日々トレーニングしていたのだ。

あの男とのプロセス勝負に筆者が勝ったとは言わない。でも、負けたとしてもファイナルタイブレーク8-10くらいまであの男を追い詰められていたはずだ。

「やらされメニュー」なら話は別だが、トレーニングコーチを付けずに自分だけで気を失うまで追い込むことは理論上不可能(精神の限界が先にくるから)なので、ノイローゼを利用したとは言え、「理論」を2度超越した経験を持っている筆者は、少なくともプロセス勝負においてあの男に「負け」はしていないはずだ。

タイヤトレーニングをする男性

努力(プロセス)は少しずつ実を結び始めた。最後の1年間筆者は団体戦シングルスで無敗だったし、掲示以外の大学同期は全員平らげたし、前年のインカレでイッコイッコで粉砕され、その後松下晃さんや原田夏希をも打ち破った永井(弟のほう)にも春のリーグ戦で「トイチ」くらいたっぷりと利子を付けて借りたものをお返しした。

気の遠くなるような練習を毎日こなし、最後の1年間は「世界一練習しているのはこの俺様だ」と信じ込めるくらい自分を追い込み、早稲田同期の連中の主な仕事と言えば筆者をなんとか説得して練習を休ませることだったほどだ。

山中湖で行われていた女子大のコーチに呼ばれた時も、車にダンベルなどの筋トレグッズをしこたま積んで行った。女子大のメインコーチだった筆者の同期連中や生徒の女子大生たちは、練習後に建物の影で筋トレしていた筆者を「こんなとこまできて何やってんの?誰にアピールしたいの?」と呆れて見ていたのも知っている。

本庄(埼玉)での早稲田一般学生相手のテニス合宿でも臨時コーチで筆者は呼ばれ、雨が降って練習できなくなって、みんながどんちゃん騒ぎしているとき、雨の中びしょ濡れになりながら一人黙々と走っていた。
※そういえばこの時、白い野良犬が雨の中ランニングについてきてくれ、結局「彼」とは3日間一緒に走った。

夕方に犬と一緒に走る男性

負け犬根性はとっくに捨てていた。

大怪我をして臨んだあの大学王座決勝以外の試合では、最後の1年間は団体戦シングルスでセットすら落とさず全勝していた筆者は、自分で言うのは痛々しいがほぼ無双状態だった。

4勝4敗で勝負がかかった団体戦のシングルスマッチが4年生の時だけで3度もあったが、試合前日までご飯が喉を通らなくなるくらいプレッシャーを感じながらも、実際に自分に4勝4敗で勝負が回ってくれば「相手が誰であろうと100%俺が勝つ」と確信できていたし、普通なら逃げ出したくなる4勝4敗という大一番も

「この震えるような大舞台こそが俺が生きる場所だ!」

とむしろ燃えに燃えまくっていた。弱かったヤギは戦士に生まれ変わっていたのだ。

レッドソックス時代の上原投手の大舞台での入場シーン

2分35秒すぎの「てんぱった表情」に注目

でも、これだけの努力(PROCESS)と実績(RESULT)を出していてさえ、筆者はライオン(掲示)に勝てなかったように思う。

波のある男だった。すでに覚醒し無双し始めていたジュラシック宮地のような超大物を撃破したかと思ったら、格下選手にあっさり負けたりすることもあった。しかし、覚悟を決めて「この試合だけは死んでも勝つ!」と決めたときのライオンの強さはずば抜けていた。

宮地に立ち向かう藤井慶二
ライオンとTレックス

個人戦では夏関シングルス優勝、インカレダブルス優勝。我が同期の中では文句なしでNo.1の実績だったし、大学1年秋の早慶戦で、4勝4敗で勝負がかかったシングルマッチで早稲田の松下晃先輩を2日間にわたる大激戦の末に打ち破って慶応に勝利をもたらした試合は、100年を超える早慶戦史上に残るジャイアントキリングとして今も語り継がれている。

一点の曇りなく、ライオンに勝つためにやれることはすべてやり尽したし、今でもプロセスに関しては一切の悔いはない。しかし、これほどまでに努力してさえも、最後の早慶戦でもし仮に体調が万全だったとしてもライオンに勝てないと思ってしまったのはなぜか。

それはただ単に、筆者が弱者(ヤギ)として生まれ、藤井慶二は強者(ライオン)として生まれてきた。ヤギがライオンに勝てないのはただの自然の摂理であり、筆者のテニス人生はハッピーエンドで終われなかったが、でも、決して筆者の努力不足ではなかったということで結論付けようと思う。

ライオンと山羊

最後に一つ、筆者はギフトをもらった。最後の早慶戦の直前に、蝮谷(まむしだに)での練習中に

「ヤギに勝てるか分かれへん、、、」

とライオンがつぶやいていたことを、早慶戦が終わった後に慶応の同期の一人が筆者に教えてくれたのだ。大学1年の桜咲く小金井公園で「ヤギに負けたらワイは今日かぎりテニス辞めたりますわ!」と豪語していたあのライオン(慶二)の口から、このような弱気な発言を最後に引き出せただけでも、筆者は満足すべきだったのかも知れない。

本編終わり

ライオンVSヤギ全対戦成績

高校2年3月 全国選抜決勝ダブルス 〇ライオン・重家 6-4 6-3 増田・ヤギ×
大学1年4月 関東大学テニスリーグ1部 ダブルス 〇平野・ライオン 2-6 7-6 6-4 寺村・ヤギ×
大学1年4月 関東大学テニスリーグ1部 シングルス ×ライオン 1-6 6-7(3-7)ヤギ〇
大学2年10月 全日本大学対抗王座決定試合 ×ライオン・日置 6-4 3-6 5-7 ヤギ・原田〇
大学3年4月 関東大学テニスリーグ1部 ダブルス 〇ライオン・日置 6-2 6-3 ヤギ・海本×
大学3年8月 関東学生テニス選手権 シングルス決勝 〇ライオン 6-3 4-6 5-7 6-4 6-1 ヤギ×
大学4年5月 関東学生テニストーナメント(春関) 〇ライオン・日置 7-6 6-7 7-6 ヤギ・木下×
大学4年11月 秋の早慶戦 〇ライオン 6-3 6-3 6-1 ヤギ×

筆者の勝利はいずれも団体戦。個人戦は全敗。4年の春関のダブルスもうちょっとで藤井日置を倒せたのに!!でも木下よくがんばった!

ライオンとヤギの個人戦最高成績

ライオン:関東学生テニス選手権単優勝、 全日本学生選手権(インカレ)複優勝
ヤギ:関東学生テニス選手権単準優勝、全日本学生選手権(インカレ)複ベスト4(※)
※パートナーはガル。「神風特攻隊ポーチ」を連発させ「退路を絶って片道切符で命をかければポーチは決まる」というガルの教え(脅し)を実践し準決勝で優勝ペア(岡田坂口)にも勝ちかけたのにサードセットのこっちのセットポイントで筆者がまさかのWフットフォルトを線審に取られ万事休す。そして筆者は神戸で石碑になりました(させられました)。

Special Thanks

慶應義塾體育會庭球部(書けんし読めん)の、特に筆者と同期だった連中には心からの敬意と感謝の気持ちを贈りたいと思う。4年間最高の勝負をしてくれて本当にありがとう。俺は酒は弱いけど、一球酒場以外のどこかで飲んであの日の想い出を語り尽そう。ただし、ライオン抜きで(笑)

1993年早慶戦での慶應義塾體育會庭球部

追憶と感謝

慶應テニス部同期の八田から、早稲田と慶應のライバル関係が端的に分かる素晴らしいものを見せてもらったのでここで披露したい。

【慶應義塾大学庭球部四大目標】
慶応義塾大学庭球部の四大目標

いの一番に「早慶戦に勝つこと」と書かれてあり、二番目が全国制覇となっている。

普通の大学だとこの順序は逆となるが、慶應義塾大学庭球部にとって最も大事なことは「早稲田に勝つこと」であることを証拠付ける貴重な資料だ。

リボーンSeason7で、筆者にとって一番大事なのは早慶戦で、その次が王座である的なことを書いたが、この慶應義塾大学庭球部四大目標は、リボーンSeason7をリリースした「後」に八田が見せてくれたものだ。

筆者は慶應に片想いしていたと現役中も引退後もずっと思ってきたが、筆者の慶應へのライバル心という名の恋心が実は両想いだったことが分かり、バッドエンドだと思っていたリボーンというこの物語がどうやらハッピーエンドで終わることができそうで、八田にはお礼を言いたい。

八田(中)とライオン(右)
八田学と藤井慶三

とだけ書けば、「ええ話や。カットやな」とダウンタウンの浜ちゃんに言われてしまいそうだが、実は、八田から四大目標のことを教えてもらっている最中、八田とメッセージのやりとりをしながら筆者が思っていたことは「相思相愛の相手が石原さとみやローラだったらなあ」ということだった。

筆者はしょせんその程度のチンケな男なのである。

ただし、これだけは真剣に言わせてほしい。これほどまでに素晴らしかった4年間に渡る慶應義塾とのライバル関係を僕にプレゼントしてくれた「キミ」への感謝の気持ちを。

物語をおもしろおかしくするためにヤギをイジめる悪者キャラにキミを仕立て上げてきたけど、広い心で許して欲しい。

早稲田に入るための切符をプレゼントしてくれたのはキミだったね。キミとの出会いがなければ今ごろ僕は何をしていただろう。僕の親は可能性のないテニスを辞めさせ、ゴルファーに転向させるつもりで日大ゴルフ部のことを調べていたくらいだったから、キミがいなければ僕は今頃ゴルフ練習場で働いていたかもしれないし、このような物語を執筆する機会も与えられなかったと思う。

ゴルフ場でボールを拾う

僕の人生を素晴らしい方向に舵取りしてくれたのはキミ。感謝してもしきれない。もうテニスコートから離れて15年以上になるしテニスシューズすら持っていない僕にこんなことを言う資格はないかも知れないけど、またいつの日かダブルスを組んでくれたらうれしいな。85才以上の部の全日本ベテランを目指すってプランはどうだろう。

昔も今もこの先も、どうしようもないくらい僕はテニスが下手で役立たずだから、30年前のインターハイダブルス決勝の時と同様、きっと僕はキミの横にただ立っている事しか出来ないだろうけど、キミの黄金の左腕があればドラゴンだって倒せるような気がするよ。

谷澤本当にありがとう!

インターハイダブルスで優勝した谷澤英彦と筆者
高校総体 松山インターハイ テニス ダブルス優勝

エピローグ

「なんで買えへんねやぁ!!!」

ブラウン管から聞いたことがある声が聞こえてきて思わずテレビのほうを振り返った。そこにはライオン(藤井慶二)が映っていた。

発狂する藤井慶二
発狂して火を噴くライオン

場所は上田ハーロー。外国為替取引(今でいうFX)の最中で、確信を持って指した値で外国通貨を買おうとしたのに、何かの間違いかライバルがライオンを出し抜いたのか、あるいは一緒にディールしていた後輩がチョンボしたのかは知らないが、とにかく欲しかったものが買えなかったことだけは秒速で伝わってきた。

相変わらずのわがままというか子供というか猛獣というか。

興銀から銀行マンとしてのキャリアをスタートさせたライオンは、ラケットを置いたあとプロの為替屋になっていた。正確には記憶していないが、為替ディーラーの実態を取材するドキュメント番組だったと思う。その番組の取材対象の一人がライオンだったのだ。

テニスをやっていたころと何一つ変わっていないライオンの咆哮(ほうこう)を聞いて思わず筆者は微笑んでしまった。取材していたテレビ局のクルーはライオンの咆哮にビビりまくっていたに違いないが、撮れ高(とれだか)は最高だったと思うのでライオンに感謝すべきだ。

あれからどれくらいの時が経っただろう。ライオンの目撃情報は時々筆者の耳にも入ってくる。ニューヨークのウォールストリート、香港、シンガポール、そして世界の金融の中心街であるシティ・オブ・ロンドン。ライオンは世界を股にかけたバンカーになっていたのだ。

ニューヨークのウォールストリート
ウォールストリート

久しぶりにライオンと会いたくなった。

イギリスの諜報機関MI6から「stay Japan」との情報を得ていた筆者は、アメリカのCIAに相当する日本の内閣情報調査室、通称「内調」とともに、巨象をも眠らせることができる超大型の麻酔銃を携(たずさ)えながらライオンの潜伏先を探し、そしてついに住処(すみか)を見つけることに成功した。

バンカーを引退し、何物かに生まれ変わった(リボーン)藤井慶三は、筆者のふるさと岡山県の近くで、戦友(とも)の芥川賞受賞を祝うために黙々と準備を行っているようだった。

↓ライオンの現在の潜伏先↓
FIN