「リボーン」孤高のライオンとプライドたちの物語Season4|早稲田と慶應に進学、そしていきなりのシングルス初対戦

時は流れ、筆者(ヤギ)は早稲田大学に、そしてライオン(藤井慶二)は慶應義塾大学に進学した。まだライバルといえる関係ではなく、ライオンは筆者にとって圧倒的に格上だった。

しかし、そのライオンとヤギ(筆者)のシングルスでの初対決は思ったよりもはるかに早くその機会が訪れた。

まだライオンも筆者も入学式さえ迎えていない、桜が咲き始めたばかりの小金井公園のオムニコート。関東大学テニスリーグ1部の第4戦にして、早慶対抗庭球試合、いわゆる「早慶戦」と呼ばれる大舞台だった。

「ヤギに負けたらワイは今日かぎりテニス辞めたりますわ!」

と試合前の集合でライオンが慶應の先輩たちの前で豪語していたのを早稲田の偵察隊から伝え聞いた。

偵察隊

当然であろう。ヤギを前にしたライオンを想像すれば、のび太君にだって勝負の結果は容易に予想できる。

しかしここはアフリカのサバンナではない。動物園でもない。大学テニス界を知らない人には伝わりにくいが、関東大学テニスリーグ1部(=トップリーグ)、その中でも早慶戦というのは「スペシャルワン」なのだ。

「ダービー」という言葉がある。

NYヤンキースとNYメッツの「地下鉄シリーズ」や、サッカーだとミラノダービー、世界最恐のダービーと言われるレッドスター・ベオグラードとパルチザンのベオグラードダービー。国を二分し、決して治安が良いとは言えないトルコで試合中は犯罪が1件も起きないと言われる国民的行事イスタンブールダービー(ガラタサライVSフェネルバフチェ)などが有名だ。

ベオグラードダービー
ベオグラードダービー

しかし早慶戦はダービーではない。では、サッカーのレアル・マドリードとFCバルセロナの伝統の一戦「クラシコ」なのかと言われると、それも少し違う。早慶戦はダービーやクラシコのような、そんな生易しいものではない。

当時の早慶戦をたった一言で現すなら「コロッセオ」。この言葉ほど早慶戦を言い表すのにぴったりな言葉はなかった。そう。あの古代ローマの闘技場、コロッセオのことだ。

コロッセオ(ローマ)
コロッセオ

生きるか死ぬか。負けたほうは大学王座出場への道は絶たれ、日本一への夢がついえる。それだけではない。早慶戦は、男にとって最も大事なプライドとプライドをかけた「戦士たちの戦い」なのだ。

当時早稲田の4年生だった斎藤修先輩から「八木!舐められてるぞ!絶対に勝ってこい!慶二を見返してやれ!!」と背中を思いっきり平手で叩かれて筆者はライオンがいるコートに向かった。

「早稲田の大豪院邪鬼(だいごういんじゃき)」と呼ばれ、身長20mはゆうにある斎藤修先輩だ。手のひらのサイズだけで1m以上あるその平手で背中を思い切り張り倒され、試合前に脊髄損傷で下半身不随になるんじゃないかと思ったほどの熱すぎるエールだった。

四号生筆頭 斎藤修
大豪院邪鬼
画像引用元:魁!!男塾

斎藤修先輩は、ヤギ(筆者)を早稲田に勧誘してくれた人だ。ヤギを早稲田に勧誘するなど正気の沙汰とは思えないし、勧誘された筆者でさえ

「この人目が腐ってるのかな?」

としか思っていなかったが、インターハイ個人戦でダブルスを組んでくれ、筆者をインターハイダブルスチャンピオンにしてくれた谷澤英彦とともに、筆者の人生を変えてくれた大恩人の一人であることだけは間違いない。感謝の想いしか持っていない。

しかし、その大恩人に鼓舞されなくても筆者には分かっていた。生き残るためにはライオンに勝つしかない。いや、勝たなければならなかった。ここはコロッセオ(早慶戦)であり、ライオンを打ち倒す以外に筆者が、そして早稲田が生き残るすべはなかったのだ。

ライオン

試合(シングルス)が始まった。

いつもどおりフォアでシバき倒してくるライオンの矛(ほこ)に対し、筆者にはコレと呼べる武器は何一つ持っていなかった。しかし、盾(たて)だけは持っていた。

「メンタル」である。

高校2年と3年生の2年間、筆者は同期の恐竜たちに蹂躙(じゅうりん)され、まだ高校3年生の2月にはすでにガルからのハラスメント、通称ガルハラにより「折れない心」はさらにブラッシュアップされ研ぎ澄まされていたのだ。実力ではライオンが圧倒的に上なのは分かり切っている。しかしここはコロッセオ。強い弱いなど一切関係ない。勝った者が強く負けた者が弱い、唯一の価値観はそれだけだった。

コロッセオでのライオン(藤井慶二)との試合中にずっと思っていたことがある。

「相手はしょせんライオン(動物)じゃないか。俺が高校2年間相手にしてきたのはTレックス(恐竜)。それも三頭同時だぞ?ライオン一匹ごときに食われてたまるか!俺ならやれる。絶対に諦めないぞ!」

火事場の馬鹿力。まさにそれが出た瞬間だった。

火事場の馬鹿力

勝負はあっけなかった。

6-1 7-6(7-3)

筆者の完勝だった。勝負の分かれ目はたった一つ。ライオンはこの早慶戦を「ただのクラシコやろ?」とタカをくくっていたのに対し、筆者はこの一戦をコロッセオ(殺し合い)であると明確に認識していた点にある。ライオンは筆者に勝ちに来ていたが筆者はライオンを殺しにいっていた。そう、これは筆者にとってただの試合ではなく死合(しあい)だったのだ。

早慶戦がコロッセオであることを筆者に叩き込んだのはガルだ。まだ筆者が大学入学前の2月にガルに出会ったその日から、出てくる言葉は

「そんなんで慶應に勝てると思ってんのか!!ぶち殺すぞキサマッ!!!」

筆者に発狂中のガル
筆者に発狂するガル

このセリフを何十回、何百回言われたことだろうか。

前年の蝮谷(まむしだに)での早慶戦の対田村太郎さんとのシングルスで、ガルは6時間をゆうに超えるシコり合いの末に全身痙攣をおこし、最後は痙攣回復のためにファーストサーブを観客席めがけてわざと打ち込み(※)、ボーラーにゆっくり取りに行かせ回復への時間稼ぎをし、なりふり構わぬ勝利への執念を見せたものの、

「団体戦なら健太郎でも勝てないかも」

と松下晃氏(当時早稲田で筆者の一つ上)に言わしめた慶應の「伝説」田村太郎さんの前に膝を屈したガルは、コロッセオの恐ろしさを骨の髄まで知っていたのだ。
※そのさい慶應の魂とも言える石碑にガルの打ち込んだボールが当たり三田会のOBたちが大激怒していたらしい

斎藤修先輩から脊髄損傷の重傷を負わされる少し前に、実は筆者はガルとすれ違っていた。ガルと目が合っただけ石化してしまう筆者は一瞬目をそらそうと思ったが、でもこの時ばかりは逃げなかった。

そんな筆者に対し、メドゥーサ(ガル)は筆者をギロっとひと睨みしただけで何も言わなかった。

ヤギをひと睨みするガル
ガル 虎

これだけで十分だった。ガルが何を言いたいかは言われなくても分かっていた。

「慶二を殺してこい!」

ガルが言いたかったセリフはこれしかなかったはずだからだ。

試合中ずっとライオンは首をかしげていた。ガッツポーズもほどほどにしかしてこないし、自慢のダイナマイトフォアハンドも威力は今一つだった。

ライオン

それもそうだ。ライオンは早慶戦をただのクラシコ、つまりスポーツだと思っていたからだ。それに対して、筆者は早慶戦を殺し合いの場だとガルに洗脳されてこの「死合」に臨んでいた。

気迫の差は歴然で、ほぼ全てのポイントでサーブ&ボレーとリターンダッシュでネットに出まくった筆者の奇襲作戦に対し、ライオンのパスがアウトしたりネットにかかるたびに、桜咲く小金井公園に

「メェェェエ!!」

というヤギ(筆者)の雄叫(おたけ)び(ガッツポーズ)ばかりが響き渡っていた。

ヤギが鳴く

読者にもきっと経験があるはずだ。格下相手に自分で試合の空気を壊してしまい、途中からどんなに自分を叱咤激励しても体に力が入らず、格下にあっさりと敗れ去った過去が。

ライオンを打ち倒し、コートを出たところで大豪院邪鬼(斎藤修先輩)が全力で抱きついてきた。

「ごんどうよぐやっだ。おばえならがでるどじんじでいだぞ。。」

最後のほうは言葉になっていなかった。修さんは号泣していたのだ。筆者ももちろん泣いていた。無理もない。ここはプライドとプライドがぶつかる戦士たちの闘技場、コロッセオ(早慶戦)なのだ。

Dead or Alive。ここには生きるか死ぬかの二択しかない。早稲田は筆者の勝利により大学王座出場への切符に大きく一歩前進し、対する慶應義塾は大学王座への道を完全にたたれ、ひのき舞台から去っていくことになったのだ。

墓場

「ライオンとヤギの夏関死闘編」へ続く