入るのも出るのも難しいアメリカの大学  最強の願書とは【その2】
この記事に書いてある事
  • エッセイで大逆転を狙える
  • おとなしい優等生はやめましょう
  • 面接要請は合格のサイン?

エッセイで大逆転を狙える

日本の大学入試を考えると、ここまでで完璧な願書になった(【その1】を是非読んでみてください)、と思いますよね?まだまだです。多くの大学ではエッセイが必須です。実はこのエッセイが最後の合否のカギを握っているといっても過言ではありません。

数字や活動の羅列では見えてこないのが人物像。いわば人間性を見るのがエッセイです。学校によってエッセイの課題は違いますが、多くは特定の専攻を選んだ理由、今までの経験から何を学んだのかということが一般的でしょう(自分でエッセイのトピックを作る選択肢があるところも)。

ここで多くの受験者が犯してしまうミスが、課外活動や自分の困難な環境をアピールしたいばかりにその経験ばかりに焦点を当てることです。「経験から何を学んだのか」に重きを置くべきところ、エッセイが既に願書に書かれていることの延長になってしまう人がいます。

特に一時期は家庭環境の悪さを書けば成績はそこそこでも上位の大学に合格できたこともあって、その考えから逃げ出せない人もいるようです。最近はあくまで困難な環境があってそれをものともせず好成績を維持した、というのでなければ書く意味はありません。

以前は困難な状況があればいわゆる成績に「下駄」をはかせてもらえたのに、今は強調しすぎると「言い訳にしている」、と思われあまりいい印象を与えないのです。ここ10年返さなくてもいい奨学金の充実や、学生ローンの乱発で昔なら大学に行けなかった人が進学可能になり、困難な状況にある学生が珍しくなってきたから、というのが大きな要因だといわれています。

願書には必ずエッセイに関しての説明書きがあるのに質問通りに答えず、自分の状況や課外活動の羅列に終わっている人が案外多いのです。質問に直接答えていないという時点で印象がよくないのは想像できますよね。

日本でも知られているUCバークレーやUCLAの属するカリフォルニア大学校のエッセイのガイドラインと課題のリンクを貼っておきます。http://admission.universityofcalifornia.edu/how-to-apply/personal-questions/freshman/index.html

説明をよく読んできちんと答えるということは簡単に理解できても、特に普通の家庭で育ち可もなく不可もない課外活動をしてきた生徒は、何をエッセイに書けばいいのか、という質問をよく受けます。「エッセイに書くことがない」という悩みを持つこの層の生徒でも、いろいろ質問してみると案外書けそうなことはいくらでも見つかるものです。

例えば長くやってきた習い事、州で〇位などという成績ではなくても「長期の目標を持って達成することの大切さを学んだ」、という観点から書くことができます。大学側から見るとそういう生徒は、きちんと勉強やキャリアの目標が立てられ達成できると高評価に。

そのほかにも自分のことを知ってもらうために、趣味がきっかけで今の志望学部に興味を持つようになった、と書いてもいいのです。趣味を書く欄は普通願書にはないので、エッセイに趣味を書くことでその人の人物像を浮かびあがらせ、単なる一志願者ではなく一人の個性を持った人、という効果を引き出すことができ印象に残ります。

「釣りをしてきたことで海の環境問題に関心を持つようになり海洋学部を志望する」、「写真撮影が趣味でいろいろな場所で写真を撮っているうちに社会問題に関心を持った」、など書けることはいくらでもあるのです。さらに特定のエピソードを入れると読み手がその場面を想像でき、特別なできごとでなくても印象深いエッセイになるでしょう。

大学入試エッセイ
Source:https://www.c2educate.com/

一番よくないのは本を読んで興味を持った、ニュースをみて、人に聞いて、などと書いてしまうことです。あくまで経験から、というのをアメリカの大学は重要視します。

エッセイで勉強だけでなくいろいろな方面に秀でた(well-rounded)人物像が描けるのが理想ですが、経験が平凡であってもそれが何に生かせているかをうまく書くことができればいいのです。

もちろん困難な状況があれば書きなさい、という学校もあるのでその場合はもちろん書きましょう。もしくは願書にオプションで追記項目があれば、そこに例えば「貧しい家庭で育ち年下のきょうだいの送り迎えや勉強、生活面の面倒をみてきた」と家庭状況を説明することもできます。

困難な状況を言い訳に使わず、願書のどこかでポジティブに表現できればいいのです。

おとなしい優等生はやめましょう

「共通テストの点数」、「学校の成績」、「課外活動」、「エッセイ」、が一番スタンダードな願書ですが、ここではさらにアメリカの大学入試に特徴的な推薦状について触れておきます。推薦状はほとんどの私立有名校で必要ですが、州立校で必須のところはあまり多くありません。州立のトップ校UCバークレーは、願書提出後ランダムに選んだ受験者にだけ推薦状の提出を要請。ただし推薦状を出すか出さないかはあくまで自由です。

推薦状は2~4通が一般的で、1通は学校のカウンセラー、あとの1~3通は学校の先生からのもの(まれに学校のカウンセラーからだけでいいということも)。

チェック項目や短いコメントを書く最初から形式が決まっているものと、手紙形式で書くものとがあり学校によって違います。特に手紙形式のものは早めに頼むことが重要です。カウンセラーや先生方は同時期にいろいろな生徒から頼まれ、何十通もの推薦状を書くことになり、負担が相当なものになります。

大学入試推薦状
Source:https://www.thebalancecareers.com/

アメリカの学校の先生は一度頼んでも書いてもらえないことがあるので、なおさら早めにお願いしてください。悪気があるのではなく単に忘れていた、ということがほんとうによくあるのです。しばらくたっても推薦状がもらえなければ、なんとなく「お願いしていた推薦状なのですがー」とでも聞いてみましょう。案外「あっ、スッカリ忘れていた」「締め切りはもっと先かと思った」などと言われることがあります。

「一回頼んだのだから書いてくれるはず」「もう一度頼むのは気が引ける」などと思わずに、もしかして忘れられているかも?という気がしたら、黙っていずに声をかけてみましょう。

推薦状の目的はエッセイと同じで、成績やテストの点数だけでは分からない受験者の人物像を探ることです。主にはその生徒が大学で問題なくやっていけるか、さらには大学に恩恵をもたらしてくれる存在であるか、ということを知るためだといわれています。

ここで問題になってくるのが推薦状は唯一願書の中で自分が書くものではないということ。つまり全く自分のコントロール下にないということです。しかも推薦状は密封されたものを学校が直接大学に送るので受験者は通常見られません。選んだ先生がきちんとした推薦状を書いてくれるのかという信頼ももちろんながら、その先生がどれぐらい自分のことを知ってくれているのかを把握している必要があります。

推薦状を書いてもらえるように頼む先生は、大学レベルのAPクラスの先生であることがほとんどです。優秀で上位校に願書を出すような生徒はAPクラスを取っているので、必然的にそうなります。先生がAPクラスの生徒の多数から推薦状を頼まれていたとしたらどうでしょうか?

何十人何百人の中でよほど印象に残る生徒でないと、生徒の個性を含んだ推薦状を書くのはとても難しくなってきます。大学の願書は最終学年が始まって数カ月の時点で提出するので、お願いする先生は通常、それ以前の学年で教えてもらった先生です。

最終学年になって「いったい自分はどの先生に印象に残る生徒であったのだろうか?」と急に心配になっても時はすでに遅し。日ごろから積極的に発言する、先生や他の生徒の助けになる、クラスのムードメーカーである、ということを意識していないとなかなか難しいものです。

おとなしく成績がいい生徒は先生にとってはありがたくても、いざ推薦状になると先生は何を書いていいのか分かりません。単に「〇〇はクラスで一番成績がよく、宿題はいつも提出し、授業態度はまじめです」と書いてある推薦状は全く合格の助けにならないのです。

推薦状はおとなしい優等生ほど不利になる、という思わぬ落とし穴にはまらないように10、11年生の時には積極的に先生とのコミュニケーションを心掛けましょう。

アメリカではそもそも高校の先生になるような人は、若者を導くことができるメンター(指導者)の資質のある人が多いようです。コミュニケーションを取ることで、実は以前に弁護士だった、軍隊で働いていた、外国でおもしろい仕事をしていた、俳優をしていた、など若い時の失敗談を含めたいろいろな話をしてくれ、子供の将来の指針になることも多々あります。

面接要請は合格のサイン?

ここまで読み進んでいたたいだ方には、日本でよく言われている「アメリカの大学は入るのは簡単」というのは大いなる誤情報だと分かると思います。アメリカの高校生は日本の高校生とはまた違ったストレスを抱えているのです。日米どちらの方が大変かというのは判断できません。

最後に取り上げるのは一部の有名私立や州立の特別なプログラム(例えば学部レベルのビジネススクールでトップ2のカリフォルニア大学バークレー校のHassビジネススクールの編入)の志望者に課されることがある面接についてです。

大学入試面接
Source:https://www.ivywise.com/

日本のようなAO入試や推薦入試につきものの面接とは違い、アメリカでは通常の入試の一部として取り入れている学校があります。ところが面接の要請は全員にあるのではなくランダムにあるので、受験者はこの連絡が合格に繋がるものなのか分からず、面接の要請をもらってももらわなくても不安な気持ちになるようです。

「面接の要請があったら合格のサインになるのか」に対してはハッキリとした答えを見つけることができず、残念ながら「学校による」としか言えません。禁断の大学受験サイトといわれる有名な掲示板があるのですが、毎年面接の要請がくる時期になると受験者と親は「面接があったから大学側は興味を持ってくれている」、「面接は合否のボーダーラインにある生徒に課されるのでいいサインではない」などさまざまな意見が飛び交います。

特にアイビーリーグ校やスタンフォードなどのトップ私立校の掲示板ではまさに侃々諤々(かんかんがくがく)といったありさま。過去の合否の結果の書き込みを見れば、面接の有無で合否が判断できるかどうか分かりそうなものなのに、毎年同じ議論が繰り返されています。

各大学のウェブサイトでは「面接対象者はランダムに選ばれ、面接の有無は合否に関係ない」とハッキリと書かれているのに、掲示板で「合格、面接あり」という書き込みが多数出てくると「やっぱり関係あるのでは?」と蒸し返される、ということの繰り返しです。

まず一つ言えるのは通常面接官のほとんどはボランティアの卒業生で(例外もありそういう場合はスカイプで大学側の正式な面接官との面接になります)、自分の住む地域に面接官がいなければそもそも面接はありえません。

それならなぜ合否に関係ないのにわざわざボランティアを募ってまで面接をするのでしょうか?これは永遠の謎です。これだけネットの掲示板などに情報があふれていても明確な答えが誰にもない、というのは大学の作戦勝ちと言えるかもしれません。

私もリサーチ後はそういう結論とは言えない結論に至っていたところ、最近面接官本人が新聞に投稿した記事を読む機会がありました。

記事の主旨は「長年面接官としてやってきて出会った受験者は全員素晴らしい人物。高評価しか付けられないほどレベルの高いものであった。でも面接した何百人の中から合格したのはたった一人。いかに面接官の意見は反映されていないのか分かる」、というものでした。

そしてこの面接官は最後に「親御さんに一言いいたいのです。あなた方は素晴らしいお子さんをお育てになりましたね、と。合格しなかったことで、この栄誉がなくなるわけではないのです。あなた方のお子さんが合格しなかったのは、合格した人よりも劣っていたからではありません。そのことをよく覚えていて欲しいです」、と。

知り合いの息子さんがハーバードの面接官から連絡があり、それだけで(ランダムに選ばれているとは知らなかったよう)合格したかのように喜んでいました。さらに面接が予定の30分を大幅に超過して1時間以上も話たことで(終始なごやかな面接だったそう)、「かなり手ごたえがあった」と言っているのを聞き、胸が痛くなったことを覚えています。

成績はもちろん人柄も申し分ない子でした。ただ共通テストの結果以外は全米レベルで活躍したわけではないので、合格はその時点でないも同然なのです。全教科大学レベルのクラスを取り、コミュニティーカレッジでクラスを取り、インターンシップやボランティア、仕事までして睡眠時間5時間という生活を続けてきた子でした。

アイビー校だけでなく、その他の有名私立校にもいくつか願書を出したのに、合格どころか補欠合格さえ一校も出もらえなかったようです。この子の両親は期待が大きかっただけに落胆も大きいものでした。こういう親が数えきれないほどいるということを記事を書いた面接官は知っていて、その一人にでも自分の思いが届けばいいというと気持ちでかかれた記事でした。